私自身がまた前進するために、またひと回り大きくなるために、最近ほんの少しだけ心境の変化があったような気がします。
まだ答えはぼんやりとしているので、「あったような気がする」という曖昧な表現になってます。
でも、今なんとなくぼんやり見えつつあるものを、ぼんやりさせたまま逃してしまうのはもったいない…と思い、とりあえず書き残しておくことにしました。
- 最近の私のテーマ「手放すこと」
- 答えは「自己犠牲」??
- 気づいたきっかけ
- これから
1.最近の私のテーマ「手放すこと」
今年(特に下半期)の私のテーマ?課題?は「手放すこと」でした。
勉強や経験といったインプットは十分やり終えたから、今は発信や手放しといったアウトプットに注力する段階にきているそうです。
食べたものを丸ごと蓄えるのではなくて、ちゃんと咀嚼して飲み込んで必要な栄養を吸収してエネルギーに変える…
そこまでは十分やってこられたから、後は自分にとって要らないものはウンチとして出して軽くなりましょう〜
って言われているのかな〜と解釈しています。
拘っていることや執着しているもの、固執していることを綺麗に捨てさり手放せば、そこにもっと大きな幸せが入ってくる
誰にでも与えられるチャンスでもギフトでもないし、それだけのことを十分やってきたんだから、今を逃さずにちゃんと受けとって!
らしいのです。
しかし「捨てなさい!手放しなさい!」と言われても、実際に何を捨てて何をしたらいいのか、全くわかりませんでした。
今もはっきりとはわかりません。
しかし考えてみると、今の私が拘っていること、大事に大事に抱き抱えていることと言えば、当然「逞人」です。
今の私にとって、逞人と過ごす時間が何より大切です。
「逞人」や「逞人との時間」を捨てたり手放したりすることは、今の私には絶対にできません。
じゃあ私は何を手放したらいいんでしょう…?
自分が1番大切にしていること、自分が1番嬉しく思う過去の成功や栄光であればあるほど、手放して軽くなった時にに返ってくるギフトが大きいそうです。
もう、そんなの、逞人しか思いあたりません…
でも、どうしても「逞人」を手放すことはできないから、それで大きなギフトが手に入らないのであれば、もう私はそれでいいや〜
と、半ば諦めたような気持ちで、ここ半年間ほど過ごしてきました。
2.答えは「自己犠牲」??
ちょうどこのブログを開設した頃、ある些細なきっかけから私は思考の大変革を経験しました。
いつも私が言う「逞人に教えてもらったこと」の1つです。
ほんの少し自分の考え方や受け止め方を変えただけで、以前の私では考えられないくらい頭の中がスッキリして、かなり生きるのも楽になりました。
イライラすることも怒ることも大激減して、自分の中の負のエネルギーに触れることはほとんどなくなりました。
※思考の大変革時期の記事がこちら→「世界中の愛するママへ」
この頃に受けた衝撃が強すぎたこと、またその後の発信をこの頃に学んだ精神で続けてきたことが、これ以上私に手放せることなんてないと余計に思い込ませていたように思います。
前の自分より今の自分のほうが好き
やっと自分のことを認めてあげられた経験が、私にとってはかなり貴重で手放しがたいものになっていたのかもしれません。
今まで大嫌いだった自分、大嫌いだから酷使しても平気だった自分、それと和解して対等な立場で大切に共に生きる
そんな大切なことを表面上かつ文脈上の意味を理解しただけで、私は「もう乗り越えた」と勘違いしていたようです。
今の私に必要なのは、やっぱり自分を大切にすることなのだと再認識しました。
そこで手放すべきものという今回の課題に立ち返ると、それは「自己犠牲」なのではないかと思っています。
- 自分を大切にして
- しっかり自分軸をもって
- 執着や他人軸を手放して
これらをして初めて最大級の幸せが受け取れるのだと知りました。
理屈を理解しただけではダメなんだ…!
ちゃんと実行しないとっ!
机上の空論の体現者のような私は、まさにこの罠に今まで何度も引っかかってきました。
公式を丸暗記しただけでは、応用問題は解けません。
3.気づいたきっかけ
人間誰しも自分の身体や心を日々少しずつ削りながら生きていると思うのです。
それは人によって大小あると思いますし、自覚できるかできないかも個人差があると思います。
みんな自分に厳しすぎるんです。
他人にはしないような酷いこと、自分には平気でしちゃうんです。
実際、全く私も自覚できていませんでした。
別に私は自分に厳しい人間ではないです。
むしろ自分には甘い方だと思います。甘々です。
それでも「自分を大切に」とよく言われます。
「甘やかす」のと「優しくする」のは似て非なるもの…全く別物なのだろうな〜と最近思うようになりました。
これに気づけたのは、きっとこの身体が私1人だけのものではなくなったからでしょう。
喜ばしいことに、逞人の弟か妹を授かりました。
今までは「何よりも誰よりも逞人が最優先!!」とフルスロットルで駆け抜けてきました。
しかし、ここで逞人と同じくらい大切で愛おしい存在が、自分のお腹の中にきてくれたことで、自分の身体も労わらなければいけない自覚が芽生えてきました。
ここでやっと、私は自分を酷使していたと自覚しました。
私が全力で守るべき人間は逞人と夫ですが、そこに自分自身も加わることがどんなに難しいことか実感しているところです。
自分を削れば、大抵のことはできるし、乗り越えられます。
でも、それだけで突き進むと、どこかで頭打ちします。
大切な人と、共に生きる
そのために今の私が手放さなければいけないことは、「自己犠牲」なのではないかと思っています。
4.これから
自分を大切にしなければならないと気づいたところで、何から始めたらいいかは全然わかりません。
一瞬で何かが変わったり、変えることができるとも思えません。
これから少しずつ少しずつ…肩の力を抜いて手放せるものは手放して、軽くなっていきたいと思います。
それにしても逞人といい次の子といい、我が子たちから教えてもらうことや学ぶことが多すぎて、本当に頭が上がりません(汗)
本当に本当に本当に本当に、いつもありがとう。
今日は私の心境の変化を主に書いてしまいましたが、これから赤ちゃんのことも少しずつ書いていきたいと思います。
- 妊娠経過や出産準備について
- 障害児である逞人に兄弟を迎えることについて考えたこと
- きょうだい児について思うこと
他にもたくさん、この子たちからもらった大切な気持ちや経験を書き残していきます。
逞人!赤ちゃま!ママ、やるぞー!!!