奇跡の寝たきりっ子が逞しく生きる!

世界中の愛するママへ

世界中の愛するママへ、ぜひ読んでもらいたい…

読めば、今すぐに自分を抱きしめたくなります。

私がこの絵本を読んで、感じたことを書き残します。

重度脳性麻痺児の親の心境の中にあった「今は目の前の逞人だけに集中して、あとのことは、まあ…あとで考えよう」作戦

その「あとのこと」の中にあった自分との離別について書きます。

障害児育児とは関係ない番外編になります。

私の心の話です。

  1. 最近の私の心
  2. 自分との離別
  3. 自分を大切にするとは
  4. 大切にできなかった自分
  5. 気づけたきっかけ
  6. これから

1.最近の私の心

重度脳性麻痺児の親の心境の中にも書きましたが、私は産後のズタボロ期に「私このままだと心が死んでしまう…」と生命の危機を感じて、何もかもを放棄しました。

その放棄の一環として、私はの中の黒い部分やネガティブな部分を無理矢理切り離し、目につかないところに捨て置いて、その存在をなかったものとして扱いました。

からっぽになりかけた心を無理矢理半分にへし折って捨てたのです。

その後、その半分になってしまったを満たすことばかり考えながら、がむしゃらに生きてきました。

この1年かけて、半分になった私の心は、最近やっと幸せで満たされるようになりました。

元の大きさよりも小さくなってしまっているのに、それを見て見ぬ振りして、満たされたを持っていると満足していました。

それどころか、もっと幸せになりたいとまで思うようになりました。

今よりもっと大きなに、いっぱい幸せを詰め込みたいと思うようになりました。

でも半分になった私のは、もうこれ以上幸せを手に入れても詰め込むことはできなくなりました。

もっと大きな心が欲しい…

もっと幸せを詰め込む為に、もっと大きな器が欲しい…

そう思った時に、やっと私はを半分にへし折ったことを思い出しました。

きっとそのはもうとっくに空っぽになってしまって、もしかしたら錆び付いているかもしれません。

それでも私の大切な一部だから、なんとか見つけ出して綺麗に磨いて、また幸せで満たしてやれば、きっと生き返るはずです。

あの時、生きるために捨ててしまったを探しています。

2.自分との離別

いつから鏡の中の自分はいなくなってしまったんだろう…

ふと思い出した時に振り返ってみても、もうそこに自分はいませんでした。

あれだけ自分にひどいことを言って、あれだけ自分をたくさん傷つけて、挙げ句の果てには見えないところに捨て置いた私は、嫌われても見捨てられても当然でしょう。

自分がいなくなっていることにも気づかないまま、この1年私は何をしていたんだろう…

私の嫌いな自分「もういらない」と切り捨てました。

私にとって大切な唯一無二の自分なのに、それを簡単に切り捨てて、私だけ元気になって楽しく笑っていました。

なんてひどいことをしたんだろう…

私の幸せを増やしたいが為に、その器の小ささに気づいた私は、やっと自分と仲直りしなきゃいけないと気付きました。

私は自分を捨て置いた場所まで迎えに行って、ちゃんと向き合って、ちゃんと謝らなければいけません。

また一緒に仲良く生きていきたいです。

3.「自分を大切にする」とは

「自分を大切にしなきゃいけないよ」

言葉だけは知っていましたし、私は今まで人にそう言われることが多かったように思います。

でもその意味も、なぜ人にそう言われるのかもよく理解できていませんでした。

  • 眠れるときにちゃんと寝るんだよ
  • 好きなものお腹いっぱい食べるんだよ
  • 疲れているだろうから無理しないでね
  • たまには体も心も休めるんだよ

逞人が生まれてから、特に言われることが増えました。

自分のこと大切にしてるつもりだけどなあ…

でも、できてないから言われるんだろうなあ…

どうすることが自分を大切にするってことなんだろう…

何をすれば自分を大切にしていることになるんだろう…

今の今まで、よくわかっていませんでした。

4.大切にできなかった自分

逞人が生まれた後、夫も家族も友達も、もちろん逞人も、誰も自分のことを責めたりなんてしませんでした。

私も同じ経験をした友達がいたとしたら、絶対に責めたりなんてしません。

当たり前です。だって悪くないんですから。

自分のことを責めたのは、私だけでした。

私は自分が全部悪いと毎日毎日責め続けました。

人を傷つけてはいけない

当たり前のことです。

傷つけられたら、誰だってそんな奴のこと嫌いになって当然だと思います。

他人に対しては当たり前にできる配慮や気配り、優しくしたり許したり受け入れたり…

でも自分に対してはひどいことを言って責めたり、時には無視したり…

家族や友達といった大切にしている人には絶対に言わないようなひどいことを、私は今まで平気で自分に対して言ってきました。言い続けてきました。

嫌われて当然でしょう。

いなくなってしまうのも当然でしょう。

もう関わりたくないと思われてるかもしれません。

もう謝っても許してもらえないかもしれません。

でも自分とは一生一緒に生きていかなければいけません。

5.気づけた理由

私がこう思えたのも、いらないと切り捨てた自分のことを思い出せたのも、私のまわりに私の心には詰め込みきれないほどの幸せが溢れていたからです。

私は自分を大切にはできていなかったし、優しくもありませんでした。

でも私の代わりに、自分を大切にしてくれていた人や自分に優しくしてくれていた人がたくさんいました。

ずっと前からあったはずなのに、まずそれがちゃんと見えるようになるまで時間がかかりました。

それが最近やっと見えるようになってきて、もっと大きなを持って、もっとその幸せで心を満たしたいと思うようになりました。

「ちゃんと自分を労って、ゆっくり休むんだよ」ってたくさんかけてもらった言葉の意味が、今になってやっと理解できました。

私の代わりに自分に優しくしてくれた人、私の代わりに自分を愛し続けてくれた人、本当にありがとうございます。

私が気付くまでじっと優しく見守っていてくれて、本当にありがとうございます。

6.これから

ずっと自分は私のことが嫌いでした。

でも何があっても誰と出逢って誰と別れても、私とは一生一緒に生きていかなければいけません。

だから、自分は大切にされて当たり前の存在なんだと気づいた私と仲直りして、もう私を許してあげようと思います。

今よりもたくさんの幸せを詰め込めるように一回り大きくなった心を満たしながら、また一緒に生きていこう。

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