障害児育児をする上で経験した私の心の変化を書き残します。
成長…と言えるのかどうかは、今でも正直わかりませんが、少なくともこの思考に行き着いてからは生きるのが楽になりました。
- ある出来事
- 私が思ったこと
- 原因分析
- 私なりの結論
1.ある出来事
逞人を産んでからSNS上で他のお母さんたちと交流することが増えました。
特に障害児をもつお母さんたちと情報交換したり、悩みを共有してもらったりしています。
あたたかい励ましの言葉をいただき、元気づけていただくことも多々あります。
リアルの世界では友達が少ない私にとって、このSNS上でのお母さんたちとのやりとりは本当に心の拠り所になっています。
始めてよかったと思っているし、大切にしている繋がりです。
しかしその中で、良かれと思って言った私の言葉が人を不快な気持ちにさせてしまったことがありました。
具体的なやり取りは伏せますが…
SNS上のある投稿に対して、私がコメントをした時の話です。
彼女を傷つけるつもりはなかったし、むしろ元気づけようとして私は言ったのですが、なんだか上手く伝わりませんでした。
苦労も環境も人それぞれ
簡単に大丈夫なんて言わないで
結局その繋がりは、そこで切れてしまいました。
彼女に謝ることもできず、ただただ彼女に嫌な気持ちだけを残してしまうことになりました。
今でも後悔しています。
2.私が思ったこと
確かに苦労も環境も人それぞれなのに、それをよく知らない私が簡単に発言したことは、よくありませんでした。
反省しています。
人に寄り添うって本当に難しい…
その人の全てを理解してあげなきゃいけないのか…
いや、それは無理だろう…
結局は自分にしか自分の気持ちなんてわからないのだから…
ここまできて、私はハッとしました。
私の気持ちなんてわからない
そう思っていたのは自分も同じではないか!
自分も同じ経験をして、自分も同じ暗い気持ちを抱えていたはずなのに、もうそんなことすっかり忘れていました。
自分にとっては過ぎ去ったこととして、勝手に終わったことにして片付けてしまっていました。
それに気づいた頃には、もう時すでに遅し…
謝ることもできなかった私は、他人を傷つけてしまった自分と向き合うことしか許されなくなりました。
3.原因分析
ある投稿に対して私からコメントしていることなので、別に無理に言わなくてもいいことでした。
最初から言わなければ良かったのかもしれません。
でもなぜ私は言ってしまったのか…
考えた結果、それはきっと彼女のことが羨ましかったからだと気付きました。
「逞人ができないことができる子」と「逞人ができないことができる子のお母さん」が、私は羨ましかったんです。
でもさ、自分で息できるんでしょ?
でもさ、自分で動けるんでしょ?
遅いかもしれないけど、いつかは歩けるんでしょ?
遅いかもしれないけど、いつかは喋るんでしょ?
こっち向いて笑ってくれるんでしょ?
泣いて意思表示してくれるんでしょ?
妬み僻みです。
こんなところで晒してもいいような感情ではありません。
4.私なりの結論
逞人のことは大好きだし、本当に生まれてきてくれて感謝しかありません。
これ以上、逞人に対して望むものなんて何もありません。
障害児でも短命でも、生きて今ここにいてくれるだけで、私は幸せです。
これが私たちの育児だし、逞人が家族の一員でいてくれることを誇りに思っています。
逞人の母になれた自分のことも、前よりかは好きになれました。
今の生活にも満足してるし、幸せだと穏やかな心で素直に言えます。
それなのに(だからこそ?)他人のことを羨んで、私の身勝手な嫉妬心から私の幸せを押し付けるような言い方をしたことを、私は心底恥ずかしく思いました。
この期に及んで、まだ私は他人のことを羨んでるんだ…
自分の現状に、満足しているし幸せだと本気で思っていたつもりでしたが、まだまだ未熟な私の心は、まだまだ成長の余地を残したままストップしていました。
経験したことや感じてきたことを、いつまでも教訓として抱き続けることにも力が必要です。
しかし極論、私が何を思ったとしても、私が何をしていたとしても、別に他人からしたらどうでもいい話です。
他人に迷惑さえかけなければ、他人からしたら私のことなんて興味は無いんだし、本当に関係ないことなんだと思います。
でもこんな私のことを逞人は好きになってくれるかなあ…
そこまで落とし込んで考えてみた時に、このままではダメだなと気付きました。
逞人が自慢に思ってくれるような母になりたい!と本気で思っていたけど、私は本当に本気でそれを目指していなかったのかもしれないと反省しました。
みんなに好かれるのは無理だと思いますが、とりあえず逞人のそばにいて恥ずかしくない程度の母親にはなりたいです。
逞人は全部お見通しなのだ!!!