20代最後の年…
幸せな結婚をして、五体満足の健康な子を産み、ごく普通の幸せな家庭生活を送ることしか頭にありませんでした。
しかし、生まれてきた我が子は重症心身障害児でした。
出産時の後悔や将来への不安に押し潰されそうな毎日…
鬱々とした暗いトンネルを独りぼっちで歩いていた時の精神状態について書き残します。
- 産後のメンタル
- 回復のきっかけ
- 夫の言葉
- 今の気持ち
1.産後のメンタル
急に色んなことがバタバタバタッと起こって、訳が分からない状態のまま逞人が生まれました。
産声も聞けず、産んだ子には会えないまま引き離されて、やっとの思いで会いに行った時に我が子の重度脳性麻痺の宣告を受けました。
逞人が生まれてからしばらくは、なかなか事態を受けとめることができず、毎日毎日自分を責める日々でした。
事態が把握できていないのに、何が悲しいのかもわからないのに、勝手に涙が出てくるんです。
毎日とにかく泣いてばっかりで、全身が気怠く何もやる気になれませんでした。
こんなことを言ったらいけないのかもしれませんが、逞人への愛情とか母親になった実感とか、正直に言ってちゃんと感じられていなかったと思います。
「出産は命懸け」
それは母にも子にも言えることです。
言葉だけは知っていても、どこか他人事のように思っていました。
しかし実際に自分がその身になって、やっと初めて気づきました。
気づくのが遅すぎました。
自分もその立場にならなきゃ気づけないなんて…
何の覚悟も何の知識のないまま母親になろうとした代償だったのでしょう。
これから障害児の子育てどうしようと将来のこと不安に思ったり、なんでこうなってしまったんだろうと過去のこと後悔したり…
とにかく泣いて泣いて真っ暗闇を彷徨いました。
自分以外の人間が全員羨ましくて、逞人以外の子全員が眩しくて、何も聞こえなかったし何も見えていませんでした。
励ましの言葉も元気付けてくれようと寄り添ってくれる人の姿も、ちゃんと私の近くにはたくさんあったのに…
私の気持ちなんて誰もわからない
産んだ我が子に寄り添ってあげられなかった自分を棚上げして、母として逞人の痛みや苦しみや孤独を分かってあげなきゃいけなかったはずの私が、偉そうに自分だけ悲劇のヒロインぶって…
ダメ母です。お恥ずかしい話です。
考えれば考えるだけ不安になって、どんどんネガティブになって卑屈になっていきました。
2.回復のきっかけ
産後のズタボロの体で、私は少しづつ健全な精神を失っていきました。
何も手に付かないし何もやる気にならないので、人間生活のための行動は一切しないくせに、「逞人をお腹に帰したい」「出産をやり直したい」という非現実的なことばかり考えていました。
そんな中で、本能的に私このままだと心が死んでしまう…と気づいた私ができることと言ったら、何もかもを放棄してしまうことくらいでした。
まずは1番最初に「検索」を捨てました。
確かに、同じような経験や同じような病気や障害は検索すれば出てくるかもしれません。
しかし、どうやったって私と逞人の過去は変わらないし、これから先の私と逞人の未来そのものはどこにも載っていません。
本当の私の心も、懸命に生きる逞人の姿も、2人のこれからの未来も、小さなスマホの中にはどこにもありませんでした。
だから「検索魔に取り憑かれた私」とはお別れして、曖昧で不確実な情報をシャットダウンする耳を、まずは手に入れました。
次に、ご飯や睡眠といった普通の人間生活で行うべき行動は、できない時は無理にしなくてもいいと自分を許してあげました。
時間を決めて食べなくても、いずれお腹は空くだろうし、大人にだって眠りたくない夜はあるだろうし、自分だけできないことを不必要に責める必要はありません。
生きてさえいれば、いずれ食べられるだろうし、いずれ眠くなります。
やりたくないことはしない。
やる気になったことだけする。
何もしたくない時はボーっとする。
涙が出るのは我慢しない。
泣いてる自分も許してあげる。
とにかく死なない。
とりあえず呼吸をする。
生きてさえいれば、何とかなるものです。
家族や数少ない友達にたくさん甘えて頼って寄り添ってもらって、わがまま放題の産後タイムでした。
ただ2つだけ、1日のうちに絶対にすると決めていたことがあります。
「逞人に会いに行くこと」と「できる限り搾乳すること」でした。
今会って見ておかないと、今この瞬間の逞人には後からは会えません。
今を逃せば後で絶対に後悔する…後悔したくない!と思い、何をしてあげられるわけでもありませんでしたが、ただ会いに行きました。
正直しんどかった日もあります。
どうせ会いに行っても眠っているだけだし…
最低ですね。
今書いてるこの時にも、自分に嫌悪感です。
逞人に必要とされていない気がして、無駄なことをしているのではないかと思った日もありました。
でも、それでも、絶対に今この瞬間にしか、その瞬間の逞人の姿は見られないので、ボロボロ泣きながら車を運転して通いました。
これだけしていれば、あとは泣いていてもボーっとしていても何をしていてもいいんだからと、自分を許してあげました。
逆に言えば、それだけで精一杯でした。
「今は目の前の逞人だけに集中して、あとのことは、まあ…あとで考えよう」作戦
別にこれだけで一気に心が軽くなったわけでは決してありません。
こうやって自分の気持ちを少しずつ切り替えることで、徐々に徐々に気持ちも回復していきました。
それでも自分の気持ちや経験、可愛い逞人の姿を自分から発信しようと思えるまで回復したのは、本当につい最近のことです。
まだまだ今でも不安や悩みはありますが、今は心の底から逞人と夫と家族3人で一緒に生きている幸せを感じられるようになりました。
3.夫の言葉
逞人が生まれてから毎日泣いてばかりいた私に、夫が言ってくれた言葉です。
夫「人ってね、生まれてくる前に自分がどういう人生をすごすか、どんな人に囲まれてどんな環境で生きていくか、どんな死に方をするのか、全部見て知ってから、それでもいいです生まれたいですーって自分で自分の人生を選んで生まれてくるんだって。生まれた瞬間にその記憶はなくなっちゃうんだけどね。」
私「そんな人生なら嫌ですって言った人はどうなるの?」
夫「生まれてこない。また1番後ろに並び直して、また何年も何十年も待つことになる。」
私「そうなんだ…」
夫「だから逞人も生まれる前からこうなることは知っていたし、もちろん僕たちもこういう子をもつ親になるって知ってた。それでも逞人は生きることを選んでくれたし、僕たちもちゃんと今を選んでこれた。だから大丈夫だよ。逞人は生まれてきてくれたんだから。」
4.今の気持ち
控えめに言って、逞人は世界一可愛い自慢の息子です。
何も分かっていなかった未熟な私に、一から命の尊さを教えてくれました。
誰のせいにもせず、誰を責めることもなく、だからと言って自分から何かを説くわけでもなく、ただただ懸命に生きる姿1つで、私に明るい未来を見せてくれました。
ただここにいるだけでいい。
生きている…ただそれだけのことが、どんなに尊く素晴らしいものかを、逞人に教えてもらいました。
障害児だろうが、健常児だろうが、男だろうが女だろうが、逞人は逞人でした。
逞人がただ生きてここにいてくれるからこそ、私も今の私でいられます。
母として逞人に選んでもらえたことが、私の人生で1番の自慢です。
逞人は私の何を見て、私のお腹から生まれてきてくれたんだろう…
「さみしそうだったから」?
逞人に出逢えて、私の人生も人生観もずいぶん変わりました。
良かったのかどうなのか…それはこれからのお楽しみです。
逞人には感謝しかありません。
出逢ってくれて、ありがとう。
逞人と過ごせる時間は、もしかしたら他の親子よりも短いかもしれません。
だからこそ一瞬一瞬を大切に…
そばにいられるのは当たり前じゃない。
このことを胸に刻みこみ、これからも逞人と一緒に生きていきます。