出産後に外出許可をもらって、初めて逞人に会いに行った時のことを書きます。
- NICUに行くまで
- やっと会えた
- 逞人のMRI画像
- 脳性麻痺の宣告
- まとめ
3人で初めて撮った家族写真です。
1.NICUに行くまで
逞人に初めて会える日だから可愛くしていかなきゃ!とバッチリ朝からメイクしました。
可愛い顔で逞人に会いたかったという理由もありましたが、逞人の前では絶対に泣かない!という決意表明の意味もありました。
結局は頑張って作った私の顔も固く決めた決意も、逞人の顔を見た瞬間に速攻で脆くも崩れ去りましたけどね(笑)
できます!歩けます!行けます!アピールをして急いで外出許可をもらっていたので、私の病院を出て車に乗り込むまでは、平静を装って普通に歩いて行きました。
もちろん車の運転は夫。←
逞人の病院には以前にも何回か行ったことがあって院内の様子を知っていたので
あ、そういえば、ここの病院すごく広いんだった…
と玄関に立った時点で気づき、「逞人のところまで遠い?」と夫に聞きました。
その返答を聞く前に、そっと入り口のところにあった車椅子に座る私。←
夫は黙って押して連れて行ってくれました(笑)
2.やっと会えた
逞人に会えたら最初に何て言おう?
それまでいっぱい考えていて、話したいことがたくさんありました。
はじめまして。ママだよ。
選んでくれてありがとう。
元気に産んであげられなくてごめんね。
気づいてあげられなくてごめんね。
苦しい思いをさせてごめんね。
生まれてきてくれてありがとう。
本当に本当にごめんね。
逞人の顔を見た瞬間に私の中の色んな想いが全部ぐちゃぐちゃになって、それが一気に涙として溢れ出てしまいました。
事前に考えていた言葉は何一つとして言えませんでした。
泣かない!と決めていたので涙を拭うものがなく、見かねた看護師さんに貸していただいたガーゼを握り締めて、ただピーピー泣くばかり…
情けなく惨めな母でした。
「触ってあげてください」と看護師さんに促され、恐る恐る保育器に手を入れて触れた我が子は、投薬で浮腫んでしまってパンパンでした。
ボロボロ泣きながら、何か言わなきゃと思って、やっと出た言葉はかわいい…でした。
なんじゃそれ。当たり前だろ。
でもその時の私はいっぱいいっぱいで、感情も思考もグルグル大渋滞です。
本当にこの子がついこの間まで私のお腹にいた子なの…?
全く実感はありませんでした。
その頃の私は、母子で通じあえるであろう何かに期待していたというか、縋っていた節がありました。
母だから、会えば何か分かるだろう。
母だから、会えば何か変わるだろう。
そんな幻想に縋るしかなくて、やっとの思いでここまで来たのに、実際には我が子を目の前にして突きつけられたのは、自分の母としての未熟さだけでした。
「ゆきと」と、ただ名前を呼んであげることもできなかったことが、今この時を振り返って1番後悔していることです。
もっと伝えたいことがあったのに、もっと言わなければいけないこともあったのに、ただただ情けない母の姿を見せてしまった初対面でした
「お母さん、抱っこしてあげてください」と看護師さんに言われて、戸惑いながら腕に抱かせてもらいました。
あったかくて小さな子でした。
後日談ですが、この日まで夫はどれだけ看護師さんに勧められても頑なに抱っこしなかったそうです。
もちろん抱っこしたい気持ちは山々で盛り盛りだったと思いますが、ファースト抱っこはお母さんに!と我慢してくれていました。
私は抱っこしないでなんて一言も言っていないし、むしろ今となっては早くパパに抱っこしてもらった方が逞人も喜んだのではないかと思いますが、
「赤ちゃんもお母さんも1番に求めているだろうから」だそうです。
この日、私の抱っこの次に夫も逞人を初抱っこできました。
母子の絆を信じて疑わなかった父としての夫は、心から私の自慢です。
3.逞人のMRI画像
たくさん泣いて触って抱っこして写真撮った後、逞人は保育器に帰されました。
少し落ち着いてきた頃に主治医の先生とお話をするために別室に呼ばれました
初めて見せられた逞人のMRI画像です。
先生からは逞人が入院してからその日までの状態と、今後考えられる障害等について説明を受けました。
黒いところが壊死している部分だそうです。
え…ほぼ全部…と衝撃を受けました。
4.脳性麻痺の宣告
この時の私は、逞人の命すら危ういとまで思っていなくて、障害が残ったり発達が遅れたりすることはあるかもしれないけど、時期に意識は戻って成長や回復をしていくものだと思っていました。
このMRI画像を見て、混乱してよくわからない頭のまま「障害が残ったりしますか?」と聞くと、
「どれくらいかは今のところハッキリ言えませんが、何の障害も残らず他の子と変わりない成長がみられるということは今後ないと思います」とハッキリ言われました。
脳性麻痺と言っても幅は広いので、どの程度の障害が考えられるか聞くと、
「最悪の場合は、このまま寝たきり状態になります。自発呼吸もなく、動くことも喋ることも意思表示することもなく、痛みにも反応できないという状態です」とのことでした。
「これからの経過次第で、どうなっていくかわかりませんが、まずは1週間が山場です」と言われ、
え?命が?1週間??と、さらに混乱…
もう何が何やら受け止めきれず、正直よく覚えていません。
先生もこの日に全てを伝えることができなかったのでしょう。
次の日も面会に来ることを先生と逞人に約束して、この日は自分の病院に戻りました。
5.まとめ
我が子の脳性麻痺の宣告をされた当時は、目の前が真っ暗で何も考えられず、明るい未来なんて一生こないと思っていました。
産んだ我が子を育てていく自信も覚悟も持てず、ただ自分を責め続ける地獄の日々…
そんな私でも、今ではすっかり普通の子煩悩(笑)
一生こないと思っていた明るい未来は、もうこの時すでに私の目の前にありました。
逞人という小さな命
その幸せに気づくまで随分と時間がかかりましたが、逞人が懸命に生きる姿で根気強く私に伝え続けてくれました。
ありがとう。
逞人がいてくれるだけで幸せだよ。