逞人の出産レポート〜前編〜と逞人の出産レポート〜後編〜の後の話です。
私と逞人は別々の病院に入院していました。
- 出産直後の私の状態
- 出産直後の逞人の状態
- 振り返ってみて
1.出産直後の私の状態
私は無自覚のまま常位胎盤早期剥離で緊急帝王切開で出産しました。
出産の前までは、全然まったくいつも通りの体調でしたが、手術が終わってからは意識が朦朧とする日々でした。
出産時に2リットル出血していたので、とにかく極度の貧血に苦しみました。
どれくらいの量なのかは分かりませんが、手術の2日後くらいに2パック輸血をしました。
血が足りていないので、とにかく頭が痛くて持ち上げることができないんです。
看護師さんには「お腹どうですか?痛くないですか?気分は悪くないですか?」と毎日ずっと朝昼夜と聞かれましたが、正直そんなどころの話ではありません。
どう言い表していいものか…的確に説明しづらいのですが、常時全身が緩く痺れているような感覚で意識が薄かったような感覚です。
正直お腹を切られた痛みなんかわからないほど、とにかくしんどかったです。
座ることもできない…体を縦向きにすることができなかったので、ベッドに寝転んでいることしかできない…
その状態で考えていたことは、元気に産んであげられなかった後悔と将来への不安でした。
障害が残ってしまうのか、今はどんな状態なのか、これから育てていけるのか、どうして元気に産んであげられなかったのか、ここには書ききれないほどの不安と後悔で自分を責め続ける毎日でした。
バタバタと色んなことが一気に起こって、結果として安産とは言い難い出産を終えた直後は、気持ちが混乱しすぎていて、何で泣いてるのか自分でもわからないほど毎日毎日ずっと泣いていました。
勝手に涙が出てくるんです。
身体的にも精神的にもしんどすぎてズタボロでした。
食欲も湧かず昼も夜も眠れない日が続き、段々と体力と思考力は落ちていきました。
何もできない…
何がどうなっているのかわからない…
考える力が低下して、1つ1つ考えることを諦めざるを得なくなって、最後の最後に私の中に残った気持ちはとりあえず子どもに会いに行かなきゃ…でした。
心も体も弱りきった結果として、強制的にあれこれ考えることができなくなったことは良かったかもと、今となったら思えます。
「よし、左手の点滴使ってないっぽいから、今日どっちか抜いてもらおう」
「よし、今日まではベッドから降りれなかったけど、邪魔だから尿管抜いてもらおう」
とにかく逞人に会いに行きたい一心で、動けない体で夜中に1人で勝手に決めるんです。
迷惑な患者ですよね(笑)
看護師さんにワガママ言って、渋々出された条件は「自力でトイレに行くこと」でした。
「よっしゃ!トイレ行けたら尿管抜いてもらえる!」と意気込んで、文字どおりゾンビみたいに這いながら、あ〜うぅ〜呻きながらベッドからトイレまで行って帰ってきて、「ほら、できたでしょ」の顔(笑)
その時はただただ必死でしたが、今思い出すと笑えます。
いや、できてないし(笑)
よく誰も笑わんかったな(笑)
とにかく必死に自分で勝手に決めた最速で外出許可をもらえるであろうスケジュール通りに行動を実行し、なんとかかんとか少しづつ点滴とか尿管とか抜いてもらって、やっと入院5日目で外出許可を勝ち取りました。
ちなみに、手術後の初風呂(シャワー?)は夫が手伝ってくれたのですが、拾ってきた汚い捨て犬を洗う様そのものでした(笑)
入浴に際して私がしたことは、ベッドからお風呂場への移動と、お風呂場からベッドへの移動のみです。
ほとんど全ての入浴行程を夫にしてもらったくせに、無事ベッドに戻った私の第一声は「よし!お風呂入れた!」だったし、すぐに看護師さんに堂々と「お風呂入れました!」と報告したことも思い出しました。
出産後は毎日泣いてばかりで、心も体も本当にすごくすごくしんどかったけど、今となっては全て笑い話になっていることが、今を幸せに生きられている証拠だなと感じます。
献身的に支えてくれた夫と家族、先生や看護師さんたちには、心から感謝しています。
2.出産直後の逞人の状態
逞人の面会には毎日夫が行ってくれていました。
毎日私の病院と逞人の病院を行ったり来たりして、2人分の諸々の手続きは全部してくれました。
本当に大変だったと思います。
逞人の出生届を書く際に名前を決めた時の話です。
生まれる前に名前の候補はいくつか出していて、あとは生まれてきた顔を見てから2人で決めようと話していました。
しかし私は動けないゾンビ状態…
私も本当は直接顔を見てから命名したかったけど、その時間もなく、夫に撮ってきてもらった写真を見て命名しました。
「逞しく生きる人」で「ゆきと」
あれこれ2人で悩みましたが、最後は夫に決めてもらいました。
その名のとおり強く逞しく生きてくれています。
届出人は夫になってもらって、出生届は私が書きました。
正直に言って、逞人の命は1週間もつかどうかわからないほど危険な状態でした。
自発呼吸も自発運動も一切見られず、いつ心臓が止まってもおかしくなかったと思います。
夫はそのことを早くから知っていましたが、ゾンビ状態でズタボロの私にはどうしても言えなかったそうです。
先生からは何も聞いていないフリをして、私にはネガティブな情報を入れず、「とにかく早く会いに行こう」と毎日ひたすら励ましてくれました。
もしかしたらダメかもしれない…と思いながらも、逞人の生命力と私の早期回復を最後まで信じぬいた精神力は本当に尊敬します。
当時の私は、逞人の状態がそこまで酷いとは思っていなかったので、初めて会いに行った日に衝撃の宣告を受けました。
その時の詳細はまた次の記事にします。
3.まとめ
出産直後は自分のことで精一杯で、とにかく外出許可をもらうために死に物狂いでした。
あまり逞人の様子や写真を見てあげる余裕がなかったのが情けないです。
身体的にも精神的にも夫のサポートなしでは何もできませんでした。
逞人と夫に心から敬意と感謝を❤︎