奇跡の寝たきりっ子が逞しく生きる!

気管切開児が呼吸できなくなって心肺停止→救急搬送された時のこと

今年の4月に逞人は何度目かの退院をして、そこから1週間ほど在宅生活ができました。

その時に起こった大パニック騒動のことを書き残します。

結論から言うと、在宅時に心肺停止で救急搬送されましたが、なんとか一命を取り留めました。

今は回復に向かっていて、また退院や在宅に向けて親子で日々頑張っているところです。

  1. 2021年4月21日
  2. 2021年4月22日 日中
  3. 2021年4月22日 夕方から深夜
  4. 2021年4月23日 深夜
  5. 2021年4月27日
  6. 大反省…

1.2021年4月21日

この日は逞人が退院してから在宅6日目でした。

逞人が1歳2ヶ月になった日です。

普通お誕生日は1年に1回ですが、逞人は生まれた時から1日1日が奇跡の連続なので、1ヶ月ごと毎月21日にはささやかな誕生日のお祝いをしています。

逞人が家にいる時は3人でケーキを食べたり、逞人が入院している時は少しだけ贅沢なディナーを夫と2人で食べたり…

本当にささやかなことのですが、私たちにとって大切にしてる日の1つです。

なので、1歳2ヶ月のこの日は夫が買ってきてくれたケーキを3人でいただいてお祝いしました。

逞人の体調に特に変わった様子はなく、表情も穏やかに見えました。

いつもしんどい時には、目を見開いて涙をいっぱいためて伝えてくれるのですが、そんな様子ではなかったように記憶しています。

細かい変化はあったかもしれませんが、逞人の場合は気分や体調に大変ムラがあるので、いつも判断が難しいのです。

2.2021年4月22日 日中

その日はEDチューブの交換と診察で外来受診日でした。

逞人の体調には関係なく、退院時から予約されていた外来受診です。

  • すぐに低体温になってしまう逞人にしては少し熱が高めだったこと
  • 退院してから少しずつ頻脈になってきていたこと

その受診の前に少し気になっていた逞人の体調の変化です。

主治医の先生には事前に連絡して、この点を含めた不安要素を説明し、当日予定していた検査項目を増やして診てもらうことにしました。

レントゲンも撮ってもらったし、採血もしてもらいました。

しかし検査結果は異常なしで、普段元気な時の逞人と同じ感じでした。

  • 病院に比べて家では一定の温度設定が難しいため、逞人の体温管理を見直すことにしたこと
  • いつもの逞人よりは頻脈気味だったが、月齢から考えると許容範囲であること
  • 病院と家は近いので、さらに悪化するようならまたすぐに連れて来れること

レントゲン写真も血液検査の数値も全部先生に見せてもらって、先生とよく相談しました。

その上でちゃんと納得して、私は逞人を入院させず連れて帰る判断をしました。

帰宅してからの逞人は疲れた様子で、ご機嫌ななめでしんどそうな顔でした。

慣れない外出で、しかも検査を増やしたので長時間になり、負担をかけてしまったと反省

しかし結局その日の夕方くらいから、痰吸引しても痰が全然引けなくなっていきました。

吸引チューブがちゃんと奥まで入らない時もあって、何かが喉奥に詰まっているような感覚です。

だからと言って、チューブがいつもどおり奥まで入れることができても、思ったほど引けない…

むしろ何もないのではないか?と思えるほど、吸引しても吸引できない状態でした。

体もどんどん熱くなる一方だったので、1人では緊急時に十分な対応ができないと思い、夫に早めに仕事から帰ってきてもらうよう連絡しました。

幸い仕事場が近いので、すぐに夫は帰って来てくれました。

しばらく夫も一緒にみていましたが

「やっぱり何かおかしい。調子悪いみたいだし、もう病院連れていこうか」

と話していたら、ちょうど先生から連絡がありました。

逞人の状態を相談すると

「連れてきてもらって問題ないですが、お家で様子見るならお薬を増やしてみますか?」

提案してくださいました。

私たちもできるだけ逞人には家にいてほしかったので、お薬の量を増やすように調整して様子を見ることにしました。

でも、この判断間違いでした。

3.2021年4月22日 夕方から深夜

その後もどんどんサチュレーションが下がっていく逞人。

胸の上下も弱くなっていく。

どこかで痰がつまって肺に空気が入らない。

アンビューしても意味ない。

吸引しようとしてもチューブが入らないから痰が引けない。

吸引しようとして回路をはずすと一瞬で酸素が下がる。

脈もどんどん下がる。

あっという間に初めて見た数値「0」「0」

もう2人で大パニック…

救急車呼ぶのがやっと。

救急隊の方がくるまで酸素濃度MAXにして思いっきりアンビューバック。

でも肺に空気がどうしても入らない。

胸が動かない。肺が膨らまない。

どんどん顔が青ざめていく逞人。

視界が歪む。信じられないくらい手も震える。

でもなんとか正気を保たなきゃとギリギリの精神状態。恐怖。

救急車が来てくれるまでが永遠だった。

やっと救急車が到着してくれて、私が逞人を抱っこ。

逞人に繋がってる色んなものを救急隊3人がかりで持ってもらって、救急車に乗り込む。

出発する頃には顔面蒼白の逞人。

すぐに抱っこのまま服脱がされて心臓マッサージ。

その間ずっと私がアンビューバッグ。

心臓マッサージされて初めて、逞人は心臓が止まっているんだということを認識。

いつから??何分この子は心臓止まってる??

出産時の恐怖が蘇る。

お願い…戻ってきて…!

AEDを逞人の小さな胸に貼られたくらいで病院に到着。

蝋人形みたいに真っ白の逞人を抱っこしたまま手術台まで直接ダッシュ。

アンビュー外して病院の呼吸器に繋ぎかえて先生たちにバトンタッチ。

全身の力が抜けて涙がでた

それなりの音量で「ゆきと!」って呼びかけて、それなりの音量で先生たちに「お願いします…!」と言いました。

そこまでは覚えています。

4.2021年4月23日 深夜

その後は夫と2人で待っていましたが、正直よく覚えていません。

一瞬にも感じましたし、この待ち地獄が永遠に続く気もしました。

次に逞人に会えたのは、先生たちに逞人を預けてから3.4時間後くらいだったような気がします。

ものすごく危険な状態でしたが、なんとか逞人は持ちこたえてくれました。

また逞人は奇跡を1つ増やしてくれました。

強い。尊い。逞しい。

逞人にぴったりの言葉です。

日付が変わる頃になって、少しだけ顔を見ることができました。

たくさん謝って、たくさんありがとうを言いました。

なんてことをしてしまったのか…

もっと早くに病院に連れて行っていれば…

一瞬の判断ミスで、逞人を命の危険に晒してしまって、本当に反省しています。

5.2021年4月27日

救急搬送されてからこの日まで、逞人はPICUに入院していました。

しかし、逞人の頑張りのおかげで、たった5日で一般病棟に移ることができました。

以前から、人工呼吸器から送られる空気は全て逞人の肺にはいかず、多少口から漏れていることは気にはなっていました。

カニューレにカフが付いていないので、どうしても漏れ出てきてしまっていたのです。

今回の呼吸ができなくなった原因は、痰が詰まってしまって肺に空気が入れられなくなったことでした。

長い時間をかけて取りきれなかったが少しずつ気管に溜まって固まり、それが気管を塞いでしまっていました。

アンビューしても空気は全て口から抜けてしまって、肺に入らなくなってしまったのです。

なので今回の解決方法は、カフ付きのカニューレにして空気が漏れないようにすることでした。

本当はずっとカフ付きのカニューレにしたかったのですが、逞人は体が小さすぎて合う規格のものがありませんでした。

なので、もう少し大きくなったらカフ付きにしようという話でしたが、今回のことがあったので、強引ですが1つ大きいサイズのカニューレを入れて気管切開の穴を拡げました。

それで少し大きくした気切口にカフ付きのカニューレを入れて、逞人はステップアップしました。

最低でも1週間くらいはかかるかと思っていましたが、努力家逞人はあっという間にカフ付きカニューレをつけて一般病棟に戻ってきました。

こんなに小さい赤ちゃんがこんなに小さい体で

「意地でも早く回復する!お家帰るー!!」

という気合いをみせてもらって本当に感激しました。

子どもの生命力無限大です。

母が弱気になったり自信なくしたり弱音吐いたりしてる場合じゃないと、逆に励まされてしまいました。

6.大反省…

何か少しでも変だと思うことがあったら、どんなに逞人と一緒にいたくても絶対に無理せず無理させず入院させる!

夫と2人で早めに病院に連れて行こうと約束しました。

今回の件では、ああいう状況になった時に私たちは何もできないんだということを学ばせてもらいました。

大切な大切な愛する我が子が、呼吸できなくなって心臓まで止まってしまって、蝋人形みたいに真っ白になっていく…

目の前でそんなことが起こって、冷静に対応できるがこの世に何人いるのでしょう。

少なくともあの時の私たちには、逞人のを守ることができませんでした。

救急隊の方々、病院の先生方、看護師の方々…日々あんな状況で人の命を救っているんだと思うと、本当に尊敬しかありません。

今回も多くの方々の協力と逞人自身の頑張りのおかげで、逞人のが救われました。

心から感謝します。

もう!絶対に!!逞人が少しでも変だと思ったらすぐ病院!!!

あんな恐怖、もう二度と経験したくありません。