逞人は産科医療補償制度の対象児です。
逞人が補償対象児と認定される前、私がこの制度について調べていた時、他の子たちの情報が少ないと感じました。
一括りに重度脳性麻痺児といっても、その子その子でできることが違います。
脳性麻痺となったケースも様々で、はっきりとした区切りを持って補償対象の認定をしているわけではなく、あくまで個人個人のケースを見て、認定対象か否かを判定されているように感じました。
なので、今回は逞人の産科医療補償制度の申請から認定通知をいただくまで、どんな流れだったのかを書き残します。
- 産科医療補償制度とは
- 申請に至った経緯
- 逞人の場合
- 必要だったもの
- 結果通知
- 原因分析
1.産科医療補償制度とは
もうこの記事を見てくださっているということは、制度の内容はご存知だと思うので、省略します(笑)
あくまで、今回は逞人のケース紹介をします。
2.逞人の申請に至った経緯
逞人が初めて退院したのは生後7ヶ月の時でした。
その初退院の目処がたったのがその1ヶ月くらい前でした。
生後半年を過ぎたら申請できるようになる制度がたくさんあって、退院までの1ヶ月でバタバタといろんな申請をしたのを思い出しました。
身体障害者手帳の申請もそのタイミングでしました。それはまた別記事にします。
産科医療補償制度についても、生後半年を過ぎた頃にNICU時代の主治医の先生から申請の提案をされました。
内容を簡潔にまとめると…
- 申請期間は1歳からだが、重症の場合は生後半年からでも申請できます
- 逞人は重症例に該当すると思うので申請してください
- まずはお母さんから産院に連絡して申請書類を取り寄せてください
- 診断書の用紙を持ってきてくれたら僕が書きます
とのことでした。
私もこの制度はふんわり知っていて、逞人は該当するのではないかと思っていました。
なので、逞人が1歳を過ぎたら申請しようと思っていましたが、それが先生の提案で少し前倒しになりました。
補償申請できる期間は、子どもの満1歳の誕生日から満5歳の誕生日までとなっています。
ただし、極めて重症であって、診断が可能となる場合は、生後6ヶ月から補償申請を行うことができます。
なぜ先生は、生後半年で申請を勧めてくれたのか…
「極めて重症であって、現時点でも十分に診断書が書ける状態で、かつ何年か後でも状態が回復したり改善したりする見込みはないから」だそうです。
こんなひどい言い方はしていません(笑)
もっとオブラートに包んで言ってくれました。
逞人は脳性麻痺の中でも最重症です。
しかし、それだけではなく、もしかしたら1歳まで待っていたら申請や認定が間に合わないかもしれないと判断されたからなのかな…と勝手に考えたりもしました。
3.逞人の場合
逞人は生まれてすぐに産院とは別の病院に運ばれて、そこのNICUに入院していました。
その後、生後2ヶ月で現在お世話になっている病院に転院してきました。
逞人を産んだ病院→A産院
逞人が最初にいた病院→B病院
逞人が今いる病院→C病院
と、します。
産科医療補償制度の申請のために、まず私がA産院に申請したい旨を伝えて、書類請求の連絡をしました。
この制度は、あくまで妊産婦である私から申し出ないといけないそうです。
もちろん病院も産院も、必要な書類の準備や診断書の用意等はしてくれますが、あくまで全て私からお願いしないと前に進みません。
先生が補償対象児であるかどうかの判断もできません。
ですが、逞人の主治医の先生(C病院の先生)はそれを全て理解した上で、私に申請を勧めてくださいました。
あくまで勧めてくれただけで、後のことは明言しませんでした。
「通るかどうかはわかりませんよ??でも申請だけでもどうですか…?」というスタンスです。
結果的に、逞人は補償対象児と認定されました。
4.必要だったもの
この話を受けて、A産院に電話連絡して書類請求してから、約1ヶ月くらいで申請案内が自宅に届きました。
届いた内容物は
- 補償申請のご案内
- 標準補償約款の改定に関するご案内
- 補償請求用専用診断書(補償認定請求用)
- 診断を受けるにあたってのお願い
- 専用診断書作成のための情報提供に関するお願い
- 補償認定依頼書
- 個人情報に関する同意の確認書
3.6.7の書類は申請のために機構へ提出したものです。
その他は今私の手元にあるものなので、写真で載せておきます。
まずはC病院の先生に「3.補償請求用専用診断書(補償認定請求用)」の用紙を渡して、すべて記入してもらいました。
先生はその診断書の用意のために、改めて逞人の身体測定をしたり、逞人を色んな体勢にして写真を撮ったりしていました。
「この測定は同日でないといけない」とか「この写真データはCD ROMでないといけない」とか、いろんな指定があったそうです。
診断書といっても2.3枚の紙というわけではなく、20ページくらいある冊子になっていました。
そこにいろんな測定値を書き込んだり、逞人の当時の状態の写真を貼り付けたり、逞人が出来ること出来ないことを、本当に事細かく書く仕様になっていました。
※逞人が自分で出来ることは、自分の心臓を動かすことのみです※
あとは、「6.補償認定依頼書」と「7.個人情報に関する同意の確認書」を親権者である夫と私が記入しました。
この2つは診断書とは違い、A4用紙2枚に記入するだけでした。
以上の3つをA産院に送り、A産院が用意する書類も含めて機構に送ってもらって、申請は完了しました。
C病院の先生が診断書を用意するのが1番大変そうで、完成した診断書と写真のデータをいただけるまでは、私がお願いしてから約2ヶ月ほどかかりました。
先生に書いていただいた診断書はそのまま送ってしまったので、その控えを残しておけばよかったと今になって後悔しています…
5.結果通知
申請書を送付してから、1点だけC病院の先生が書いてくださった診断書に不足があったので、修正依頼として返送されてきました。
その修正は1週間ほどで完了し、再びA産院に返送してから、結果の通知がくるまでは約2ヶ月ちょっとかかりました。
この認定通知と一緒に
- 補償金請求のしおり
- 原因分析のご案内
が、送られてきました。
補償金の請求に必要だったものは
- 補償金請求書(しおりに同封されていた)
- 子どもの戸籍謄本
- 補償請求者全員(夫と私)の印鑑証明書
- 補償金請求に関する同意書(しおりに同封されていた)
補償金の請求はA産院を仲介せず、親権者が直接機構に請求しました。
この請求をしてから、実際に補償金が振り込まれたのは約1ヶ月後でした。
振り込まれる直前には、振り込み通知もいただきました。
振り込み通知…絶対に捨ててないので探せばどこかにあるはず…
6.原因分析
逞人の出産レポート〜前編〜と逞人の出産レポート〜後編〜にも書いたとおり、逞人が重度脳性麻痺児になってしまった経緯は、ハッキリしていますし、私たちも理解しています
誰も悪くないし、誰の責任でもないです。
逞人が生きるために、逞人も含めた全員が全力を尽くしました。
それら全部を含めて「逞人は逞人」と胸を張って言えますし、逞人のことが全部まるごと大好きです。
なので、正直に言って、私たちは原因分析を積極的に望んでいるわけではありませんでした。
今さら調査してもらっても、きっと新しい情報は出てこないだろうし、別に出てきたとしても何が変わるわけでもありません。
もちろん「補償金云々よりも原因をハッキリさせたい」と言われる親御さんもいらっしゃるでしょうが、あくまで逞人のケースを受けた私たちの今の気持ちです。
しかし、私たちはそれで良くても、今のままで十分だとしても、これから産まれてくる未来の子たちのために、逞人のケースが役にたつ時がくるかもしれません。
再発防止や産科医療の質の向上のために、逞人が頑張ってくれた時間が役に立つなら、それは光栄なことです。
なので、私たちは原因分析もお願いすることにしました。
先にも書いたとおり、申請してから対象認定をいただくまではA産院に仲介してもらっていました。
その後の補償金の請求と原因分析の依頼は、私たちが直接機構とやり取りしました。
逞人の場合、今のC病院の前にB病院にもいたので、機構が直接B病院に原因分析のための情報開示の請求をしていいかどうかの同意書も送りました。
現在、その分析結果を待っているところです。
約1年かかるそうなので、来年また分析結果がきたら報告します。
7.まとめ
産科医療補償制度に対する逞人のケースを紹介しました。
まだ原因分析の結果は来ていませんが、申請段階の方の参考になれば嬉しいです。
原因分析結果は、また届き次第ご紹介したいと思います。
最後に…
この話を最初に聞いた時に、私は補償対象であってもなくても、審査の段階で原因分析してくれるものだと思っていました。
しかし、実際はそうではないみたいで、補償対象か否かを審査してから、原因分析にはいるそうです。
補償対象児のみ原因分析するということです。
なので、審査に出したからといって、絶対に全員が原因分析してもらえるわけではありません。
そこに関して私は「それはなんだか不親切では…?」と思いました。
先生に診断書もらったり、各方面へ連絡したり、書類集めて用意して郵送して時間もかかって…
私はこの申請をするのに、けっこう大変でした。
時間も約7ヶ月かかっています。
それなのに、結果「補償対象ではありませんでした」となると、もうそこで終わってしまいます。
せめて対象だろうがなかろうが、原因分析だけでもしてくれたら、まだ報われる家族も増えるだろうにな…と感じました。
また進捗があれば報告します。