前回の逞人の出産レポート〜前編〜の続きです。
ぜひ前編を読んでから読んでください。
- 常位胎盤早期剥離
- 緊急帝王切開
- 意識朦朧
- 手術後
- 奇跡の子
1.常位胎盤早期剥離
いつも診察してくれる部屋に行くと、すぐにベットに横になるように言われて、先生がすぐにエコーでみてくれました。
そしたら先生しばらく何も言わなくて、みるみる焦った顔に…
お母さん、もう赤ちゃん今すごく危険な状態だから、今すぐ切って出したほうがいい!
今すぐ救急車呼ぶから、それ乗って大学病院で全身麻酔の帝王切開してもらって!
でももうちょっと…正直赤ちゃんは難しいかもしれない。
多分ダメだと思う…厳しいです。
って…
そうこうしてる間も胎動はあったし、まさかそんな危ない状態になってるとは思いもしなかったから、突然のことすぎて震えました。
もう本当の大パニックです。
こういう時って涙は出ないもんですね。
びっくりしすぎて処理しきれないまま、とりあえず出た言葉は
え?なんで大学病院行くの??
もう私は何でもいいから、今すぐここで切ってください!でした。
この時に朝ごはんを食べたか聞かれたので、少し食べたと答えました。
これは憶測ですが、おそらく半身麻酔の場合は何時間か絶食しないといけないから、先生は大学病院で全身麻酔の手術をするように言ったんだと思います。
ただ、もうすでにこの時の先生は、このままだと胎児どころか母体(私)の命も危ないと思っていたようで、早くしないと…!!!と焦っていたようです。
私は自分の命が危ないなんて1ミリも思っていませんでした。
先生に「え??今お腹痛いでしょ!?」と聞かれても、「はい…いや、痛いからみてもらってたんですけど…」と座った状態でケロッと答えていました。
普通は胎盤早期剥離が起こると意識がなくなるくらい痛いそうです。
出血も大量にするそうですが、その時の私にはどちらもありませんでした。
苦しい苦しい助けて!!って必死に訴えていた逞人のSOSを、私はちゃんと受け取ってあげられませんでした。
逞人の1番近くにいて、ずっと逞人をお腹の中で育てていた私が、1番大事なことに気づいてあげられませんでした。
母親失格です。
この後悔はずっとずっと消えません。
2.緊急帝王切開
やっぱりそれじゃ間に合わないから、今すぐここで切る!はやく手術室いって!
と先生に言われたので、急いで立って歩こうとしたら看護師さんに取り押さえられ車椅子に乗せられ、あっという間に手術台へ…
車椅子に乗っている間に夫に電話したけど仕事で出られず、私の母には連絡して早口で要点だけ説明して、とりあえず来て!って言いました。
「1秒大事!1秒大事!早く!!」って看護師さんに言われながら、全部服を脱がされて、バタバタ大パニックのまま下半身麻酔されました。
もうとにかくすごく怖くて怖くて、痛みなんて感じる余裕もありません。
この時に痛みがあったのか、出血はあったのか全く覚えていません。
とにかく状況が理解できないしパニックだし、なによりも赤ちゃんが!危ない!早くして!!!と、もの凄い恐怖に襲われながら泣くことしかできなかった私は、本当に母親失格です。
やっと麻酔が効いて、やっとお腹切って逞人が出てきたのが10時57分でした。
病院に来てから約1時間くらいの間に起こった出来事とは思えません。
お腹切ったらすぐに逞人は別の部屋に連れていかれました。
泣き声は聞こえません。
誰も何も言ってくれません。
3.意識朦朧
お腹切ってしばらく経つと、気持ちが落ち着いてきて涙も止まりました。
麻酔がよく効いてたのか、その時は何だか妙に落ち着いていて、フワフワしてて暖かくてボーっとしてて…
あー…赤ちゃんダメだったんだな…これって死産になるのかな…あんなにみんなに応援してもらったのにな…元気な子が産めなかった…私はまだ母になるには早かったのかな…
と、妙に冷静に頭がまわっていました。
逞人を取り上げた先生が別室から戻ってきて「…お母さん起きてる?もうアレだったら寝かせて」って小声で看護師さんに指示していたのが聞こえて
あー…寝てもいいのか…なんか今なんとなくフワフワしてて気持ちいいし、このまま寝れるなー…
と思って目を閉じたら、思いっきり肩叩かれて名前呼ばれてしっかりして!深呼吸して!って起こされました。
え、寝たらダメなの??って思いました。
全然この時は自覚はなかったけど、後々聞くと多分この時死にかけました。
その後しばらくしたら、先生また戻ってきて
お母さん!赤ちゃん!いま!蘇生したから…!!
胎盤ほとんど剥がれてて呼吸も心臓も止まってたけど、今もどったから!!!
号泣でした。
手術室にいた全員が泣いてくれました。
心臓止まった状態で生まれて、生後16分で心肺蘇生…
16分以上も心臓が止まってたのに…
生まれて初めて、奇跡をみました。
泣きすぎて先生にお礼も言えなくて、心の中で「ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!」って叫びまくりました。
心の中でね。
会えないか聞いたら、やっぱりそれは難しいみたいで、でもモニターに映して姿は見せてくれました。
初めて見た逞人の顔は夫そっくりでびっくりしました。笑
すごく可愛いかったけど、口から呼吸器つけられてて、少なくとも私が眺めてる間はピクリとも動きませんでした。
その後、私のお腹が閉じられる前に逞人だけ国立病院に搬送されて、そこのNICUに入院になりました。
私は直接は1度も会えないまま引き離されました。
次に会えるのはその5日後になります。
4.手術後
逞人を送り出した先生が夫に電話で事情説明してくれて、すぐ来てもらうことになりました。
私の手術も終わり、ガラガラと手術室を出ると私の父と母が来てくれていて、ふっと気が緩んで安心してして、また涙がボロボロ…
何よりも我が子を失いかけたことが1番怖かったです。
その後もその後で、まあまあ壮絶でした。
正直、術後が1番きつかったです。
出産時に2リットル出血したので、極度の貧血に苦しめられ、術後何日か目に輸血をしました。
歩くどころか座れない。頭が持ち上がらない。体が動かせない。
そんな中で、ご飯食べないと…母乳出さないと…歩かないと…赤ちゃんに会えない…!!
死に物狂いで回復しました。
入院中は夫がずっと付き添ってくれて、本当に何から何まで全部してくれて、本当に感謝しています。
夫が仕事をお休みしてくれて、毎日毎日私と逞人の病院を行ったり来たり…
私も逞人も夫がいなければ絶対に乗り越えられなかったと思います。
ありがとう。何回言っても足りません。
5.奇跡の子
手術してから2.3日すぎた頃に、先生が直接部屋まで来て色々と説明してくれました。
原因は常位胎盤早期剥離…
でも私には自覚症状が何もありませんでした。
先生も最後まで「合点が合わない…こんな症例は聞いたことがない」と悩まれていました。
あと1時間遅かったら母子ともにダメだったでしょう
先生にこれを言われて初めて、危ない状況だったんだと理解しました。
あの時、次の検診が1番最初に予約した22日のままだったら?
21日に変更したいって電話したときに10時じゃなくて15時にしていたら?
私も逞人も命はありませんでした。
だから今このルートが私と逞人の2人が生き残れる最善のルートでした。
奇跡です。
逞人は奇跡の子です。