奇跡の寝たきりっ子が逞しく生きる!

「嫌われる勇気」から学ぶ、逞人が伝え続けてくれている幸せの真理

実は、私は自己啓発が大の苦手でした。

苦手というか、読まず嫌いでした。

  • どこかで聞いたことがあるようなことが大袈裟に書かれているだけ
  • 所詮は綺麗事
  • ある人の偏った考え

読んだこともないくせに勝手なイメージをつくりあげて、少し馬鹿にしていたところもありました。

よくよく考えたら、何故こんなにも毛嫌いしていたんだろう…?

自分でもよく分かりません…(汗)

しかし最近、これも何故なのか分かりませんが、ふと「嫌われる勇気」に興味をそそられました。

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すぐに購入して読み進めると、なんと!びっくり!!

逞人がこの1年半の間に私に伝え続けてくれていたこと、私が逞人と過ごす中で見えてくるようになった幸せの真理が書かれていました。

本当に驚いたと同時に、少しが軽くなりました。

「世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる」

また読書感想文です。

逞人が教えてくれたことと共に、今の私のを書き残します。

  1. トラウマを否定せよ
  2. すべての悩みは対人関係
  3. 他者の課題を切り捨てる
  4. 世界の中心はどこにあるか
  5. 「いま、ここ」を真剣に生きる

1.トラウマを否定せよ

この本の中では、トラウマ(過去の経験によって今の行動を制限すること)を否定しています。

引きこもりの青年を例に出して、

「彼が外に出られないのは不安だからではなく、外に出たくないから不安という感情をつくりだしている」

と断言しています。

過去の原因によってではなく、今の目的のために感情をつくりだしているという考え方です。

この考え方を目的論(↔︎原因論)としています。

いかなる経験も、それ自体では成功でも失敗でもありません。

その経験の中から、今の目的にかなうものを見つけ出すこと

その経験によってではなく、その経験に与える意味によって自らを決定すること

何があったかではなく、どう解釈したか

何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか

これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについては何の影響もありません。

なるほど…と思いました。

ここで、私のトラウマは何か考えてみると、やはり1番最初に頭に思い浮かぶのは、逞人の出産です。

原因不明の常位胎盤早期剥離により、逞人も私も命の危機を経験しました。

詳しくは逞人の出産レポート〜前編〜逞人の出産レポート〜後編〜をご覧ください。

もう2度と同じ思いはしたくないと、今でも思っています。

しかし、「また逞人の出産の時と同じ状況になるのが怖いから、もう次の子は産まない」という選択肢は私の中にはありません。

確かに、今でも妊娠や出産に対しての恐怖心はあります。

それでもいつか逞人に弟か妹がきてくれたら、それは素敵な未来だなと思っています。

私も逞人も、あんな瀕死の状態になりながらでも、それでも結果として私の子宮は残ってくれました。

(胎盤早期剥離が起こると、子宮は摘出されることが多いそうです)

「壮絶な逞人の出産」という経験によって、これからの私の人生が変わるわけではありません。

さらに、私はこの経験にたくさんのポジティブな意味を与えました。

  • 逞人の命が救われたこと
  • 私の命が救われたこと
  • 私の子宮が残ったこと
  • 命の尊さを感じたこと

この経験をした意味を、ちゃんと自分で上手く咀嚼して飲み込むことができたからこそ、今の私がいます。

今の私は幸せです。

きっとこれからの私も幸せな選択をしていくでしょう。

すべて逞人が教えてくれたことでした。

2.すべての悩みは対人関係

世の中の全ての悩みは対人関係に起因するそうです。

悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない」という少々極端な言葉もありました。

孤独を感じるのにも他者を必要とするから、他者を意識しなければ孤独という概念すらないという考え方です。

一見すると強引なようにも見えますが、究極のインドア派(ここ最近の自粛ムードが全く苦痛でないほど)の私からすれば、納得できる文脈も多々ありました。

私、ひとりでいても、孤独は感じないもんなあ…(笑)

これが「さみしい」かどうかは、主観的な解釈であり、客観的な事実ではないと捉えています。

これこそが劣等感です。

私たちは、客観的な事実を動かすことはできませんが、主観的な解釈を動かすことはいくらでもできます。

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劣等感の種類として3つのパターンを提示しています。

劣等コンプレックス

自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のこと

成功したくない言い訳を探し、ライフスタイルを変える勇気を持ち合わせていない状態のこと

優越コンプレックス

あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸る状態のこと

  • 権力者と懇意であるアピール
  • 経歴詐称
  • 服飾品の過度なブランド信仰

不幸自慢

不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとする状態のこと

私が逞人のことをSNS等で発信するようになって、よくいただく言葉がまさにこの「不幸自慢ですか?」です。

それは全くの勘違いで、私は私自身のことも逞人のことも不幸だなんて一切思っていません。

何度も言いますが、私は可愛い我が子を見てほしいだけです。

「子どもを見世物にして恥ずかしくないのか?!」

「子どもの気持ちも考えろ!」

といったご意見をいただいたこともありました。

逞人を「見世物」にしているのは私ではなく、コメントしていただいた方の心の目にかかっているフィルターだと思っています。

人生は競走ではないので、他人と自分を比較する必要はありません。

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものだそうです。

人は皆、同じではないけれど対等

逞人は、かけがえのないたった1人の愛しい我が子です。

3.他者の課題を切り捨てる

他人の期待を満たすために生きてはいけない」という言葉も心に残っています。

他者から承認されてこそ「自分には価値があるのだ」と実感したり、他者からの承認を通じて劣等感を払拭しようとしてはいけないそうです。

しかし、どうして私たちは他者からの承認によって自己価値を決めてしまうのでしょう?

それは賞罰教育の影響だとしています。

賞罰教育とは、適切な行動をするとほめてもらえて、不適切な行動をとると罰せられる教育のことです。

その先には「ほめてくれる人がいなければ適切な行動をしない」または「罰する人がいなければ不適切な行動もとる」という誤ったライフスタイルが待っています。

自分に対する他者の期待など、満たす必要はありません。

自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれのでしょうか?

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。

そして同時に、他者もまた自分の期待を満たすために生きているのではないので、相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、それは当たり前のことです。

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では、どうすれば、他者の期待承認を気にせず、生きられるのでしょう?

具体策として「課題の分離」が挙げられています。

まずは「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知り、他者の課題は切り捨てることが重要だと説いています。

自らの生について、自らができることは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」それだけです。

その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって自分にはどうすることもできません。

誰が何をどう思うか、それ自体を変えることはできないし、他者の課題には介入してはいけません。

自分と他者の課題を分離することが自己中心的なのではなく、他者の課題に介入することこそが自己中心的な発想なのです。

本当の自由とは、他者から嫌われることである

またここでも極端な名言…迷言?笑

承認欲求を満たしながら、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由きわまりない生き方であり、同時に不可能なことです。

自由とは、組織からの解放ではありません。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自由になれません。

※著者は「嫌われろ」と言っているわけではなく、「嫌われることを怯れるな」と表現しています。

多くの人は対人関係のカードは他者が握っていると思っています。

だからこそ他人の目が気になるし、他者の希望を満たすような生き方をしてしまうのでしょう。

しかし、課題の分離ができれば、すべてのカードは自分が握っていることに気がつきます。

承認欲求に縛られていると、対人関係のカードはいつまでも他者の手に握られたまま…

人生のカードを他者に委ねるか、それとも自分が握るのか、それは今ここで自ら決定することができます。

実は、これは私のが常々言っていることと同じでした。

「まずは自分だよ」

「それはあなたの問題じゃない」

「他人は変えられないからね」

「自分は自分しか変えられないよ」

母の教えが体系的にまとめられていて、ずっとこのことを伝え続けてくれていたのだと感動しました。

私が幸せな人生を送れるように教えてくれていました。

この心得をしっかり持っているからこそ、母はあんなにも幸せそうな人生なんだなあ…

4.世界の中心はどこにあるか

課題の分離」とは、対人関係における不干渉孤独といった意味ではありません。

他者を遠ざけるためではなく、複雑に絡み合った対人関係の糸を解きほぐしていくための発想です。

最終的に、共同体感覚(他人を仲間だと見なし、そこに自分の居場所を感じる)に至ることを目的としています。

共同体感覚のことを、英語では「social interest」つまり「社会への関心」といいます。

社会の最小単位が「わたしとあなた」だとして、そこを起点に自己への執着(self interest)を、他者への関心(social interest)に切り替えていく必要があります。

承認欲求にとらわれている人の思想

  • 他者はどれだけ自分に注目しているのか
  • 他者は自分のことをどう評価しているのか
  • どれだけ自分の欲求を満たしてくれるのか

承認欲求にとらわれている人は他者を見ているようでいて、実際には自分のことしか見ていないのです。

それは他者への関心ではなく、自己への執着です。

「わたし」は世界の中心に君臨しているのではない

「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部

だからこそ、「この人は自分に何を与えてくれるのか?」ではなく、「自分はこの人に何を与えられるか?」を考えなければなりません。

「自分はここにいてもいいんだ」という所属感は、生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくものです。

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そのための実践方法として、「横の関係」を意識すると提示されています。

例えば、「ほめる」という行為は、能力のある人が能力のない人に下す評価だとしています。

人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」であり、そこには感謝尊敬も存在しません。

ほめられたいと願うこと、ほめてやろうとすること、これは対人関係全般を「縦の関係」としてとらえている証拠です。

すべての対人関係を「縦の関係」ではなく「横の関係」とすること

まさに「同じではないけれど対等」

対人関係を縦でとらえ、相手を自分より低く見ているからこそ、他者の課題に介入してしまい、課題の分離ができなくなるのです。

介入ではなく、援助する

命令ではなく、働きかける

大切なのは、他者を「評価」しないこと

人は皆、対等なパートナーという意識を常にもつことが大切です。

人は「自分には価値がある」と思えたとき、幸せを感じることができます。

共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と主観的に思えること

他者から「良い」と評価されるのではなく、自らの主観によって「自分は他者に貢献できている」と思えること

つまり、自分の価値に関しても他者の評価は気にする必要はありません。

人は誰しもがここに存在しているだけで、価値があるのです。

他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見る

たったそれだけのことで、世界は一変して見えるでしょう。

ここに存在している」というだけで、すでに他者の役に立っているのだし、価値があるのです。

生きている、ただそれだけで周囲の人や家族の心の支えになっているし、役に立っています。

そうです!まさに!まさにです!!

ここまで長々と書きましたが、私たちにとっての逞人の存在とは、まさにこれなんです!

動くとか喋るとか笑うとか…本当にそんな次元の話ではないのです。

今ここに存在していてくれるだけで、私たちにとっては何よりも尊く、何よりも強い心の支えになってくれています。

何をしてくれなくても、何もできなくても、今ここに生きていてくれるだけで、もう心から幸せなんです。

逞人の存在は、私の思考を根底から覆してくれました。

良かったのか悪かったのかは分かりませんが、少なくとも前よりかは今の私のほうが好きと思えるようになりました(照)

逞人に出逢えてから、ずいぶん生きるのもになりました。

「行為」のレベルで考えず、「存在」のレベルで受け入れる

偽善でも綺麗事でもなく、これも逞人に教わったことでした。

5.「いま、ここ」を真剣に生きる

私たちは「変えられないもの」に注目するのではなく、「変えられるもの」に注目するしかありません。

その中で、ただ「わたしがどうするか」だけを考えればいいのです。

  • 貢献感を主体的に実感して、自分の存在価値を受け入れること
  • 「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで他人を受け入れること

逞人の母親は、この世で私ひとりだけです。

逞人の気持ちを汲んだり、逞人のお世話を誰よりも完璧にできる自信があります。

それは私の努力によってではなく、逞人の存在があったからこそ感じられる貢献感です。

そのおかげで私は、自分の存在価値を実感できるようになりました。

また、ただここにいてくれるだけで、こんなにも愛おしい存在に出逢えたのも、逞人のおかげです。

私は逞人に幸せの真理を教わりました。

人生とは連続する刹那であり、今ここには未来も過去も存在しません。

連なる線ではなく、大量の点の集まりなのです。

過去にどんなことがあったかなど、私の「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではありません。

刹那主義でも享楽主義でもありません。

「いま、ここ」にスポットライトを当てるというのは、今できることを真剣かつ丁寧にやっていくことです。

「わたし」が変われば「世界」が変わる

世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえません。

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ここまでが「いま、ここ」だけを真剣に生きている逞人から、私が学んだ全てです。

まだまだ逞人から勉強させてもらうことはたくさんありそうです。

これからも逞人の心の声は一言一句逃さないように、一緒に生きていきたいです。