夏休みシーズン真っ只中ですね。
夏休みといえば、海!プール!キャンプ!
たくさんの楽しい単語が思いつきますが、忘れちゃいけないのが宿題…
私が夏休みの宿題で1番苦手だったのは、ずばり読書感想文です。
400字詰の原稿用紙3枚分も感想なんてないわ!
「おもしろかったです」以上!
と、生意気全開でしたので、夏休みの宿題は嫌で嫌でたまらなかった記憶があります。
なので、私は7月中に全部の宿題を終わらせて(クオリティはさておき…)
何も考えずに残りの夏休みを満喫できるようにしていたタイプでした。
そんな私が、今ではブログで文章を書くことを全力で楽しんでいる…
人生何が起こるか分からないし、何が得意で何を好きになるかなんて、案外コロコロと変わっていくものなんだろうなと最近思うようになりました。
- 人魚の眠る家を観ました
- あらすじ
- ちょっとだけツッコミ
- 心臓死か脳死か
- 感想&共感
1.人魚の眠る家
さて、前置きが長くなりましたが、ずっと気になっていた映画「人魚の眠る家」を観ました。
周囲の夏休み気分に感化されて、なんだか私も夏休みの宿題をやってみたい気持ちになったのです。
原稿用紙ではありませんが、私の感想文を残しておきたいと思います。
人魚の眠る家
2018年に公開された映画で、篠原涼子さんや西島秀俊さんらが出演されている映画です。
東野圭吾さん著の本が原作となっています。
実際に観てみた感想を一言で言うと、とにかく共感することが多くて感動しました。
伝えたいテーマも盛り沢山でした。
- 心臓死と脳死
- 臓器移植
- 延命治療
- 障がい児育児
- 在宅看護
- きょうだい児
1つ1つに対して私の感想を書いていると、本当に膨大な量になってしまいます。
なので、今回は寝たきりっ子の逞人を育てる母として、共感できた部分を紹介します。
2.あらすじ
別居状態で離婚寸前のある夫婦の元に突然の悲報が届きます。
6歳の娘がプールで溺れて意識不明になり、ほぼ脳死に近い状態と診断されました。
医師からは、「ほぼ回復の見込みは0に近い」と告げられます。
夫婦は「娘は人の幸せを願うような優しい子だったから」と臓器移植を決意します。
しかし、脳死判定の日に母の呼びかけに応えて、僅かに娘は手を握り返してきました。
そこで娘の死を受け入れられなくなった母は、臓器移植を中止して自宅で療養することを決意します。
一縷の望みにかけて、夫の会社で研究していた最新技術を使って延命治療を数年間も続けます。
ただ眠っているだけのように見える娘
「生きている」と徐々に狂気的になる母
「生きていると言えるんだろうか」と苦悩する父
あなたなら自分の子供の死亡判定をできますか?
3.ちょっとだけツッコミ
いわゆる脳死状態と植物状態は少し違います。
細かく言うと色々とあるのだと思いますが、すごく簡単に簡潔に言うと、自発呼吸があるかないかの違いだと思っています。
植物状態は、意識がなく眠っているだけのように見えますが、自分で呼吸することができます。
本当に眠っているだけに見えますし、もちろん臓器移植もできません。
脳死状態は自発呼吸もできない状態なので、人工呼吸器が必須です。
逞人のように気管切開をしているか、口から挿管されている場合がほとんどです。
しかし、劇中の子は脳死に近い状態と宣告されていながら、人工呼吸器は装着していませんでした。
父親の会社で研究していた最新技術を使って、横隔膜に電気を流して自発呼吸ができるように見せるという設定でした。
そんな大袈裟に眠っているだけのように見せたいのね…
と、個人的には冷めた感想を抱いてしまいました。
顔も見えないくらい口や喉をテープだらけにされながら、気管切開や挿管を頑張ってきた逞人を見ていた私にとっては、少し違和感でした。
まあ…物語だもんね…
テーマは「眠っているだけに見える我が子の死の基準」だもんね…
4.心臓死か脳死か
日本では、心臓死をもって人の死としています。
ただし、臓器移植を伴う場合のみ脳死が認められています。
臓器移植は6歳以上でないと認められず、脳死判定を受けた人は必ず臓器提供をすることになります。
脳死と判定するのは医者です。
しかし、その決断をするのは親族です。
つまり死んでいるか生きているかの最終判断は親族がすることになります。
心臓は動いていて、ただ眠っているだけに見える自分の子供が、死んでいると思うのか生きていると思うのか…
そして延命治療をするために、どこまで技術が介入していいのか…
どこまでが生きていると言えるのか、死んでいるとはどういう状態のことなのか…
人の生死の境界線はどこにあるのでしょう。
たくさんの正解があると思いますが、この映画の中の夫婦は1つの答えに辿り着きます。
5.感想&共感
まず、逞人が使っている医療機器と同じものが劇中でも使われていて、「あ!逞人と一緒!」と何故か嬉しくなりました(笑)
吸引器や在宅用モニター等、逞人が家で使っている物がたくさん登場して、親近感を感じて共感しやすかったです。
意識のない娘を在宅看護すると決めた母親が必死に勉強して、寝不足になりながら一生懸命に育児をする姿は、まさに自分を見ているようで、
分かる分かる。しんどいよね。眠いよね。でも最高に可愛いよね。
と勝手に頷いていました(笑)
私も何も知らなかったので、必死で勉強してきました。
これはほんの一部ですが、逞人に関する資料やデータ等は、生まれてから今まで全て保管しています。
この映画を観て、逞人の命について改めて考えました。
逞人も脳死に近い状態であることは、生まれてきてすぐに宣告されています。
しかし、私は逞人が死んでいるとはどうしても思えません。
劇中の娘は脳死判定前に微かに手を動かしましたが、たまに逞人もすることがあります。
ラザロ微候というそうです。
私が逞人のそれを初めて見た時にはビックリしましたし、回復するのではないかと期待したこともありました。
しかし状態は変わらないまま、しかし懸命に逞人は生きています。
人の死を心臓死とするか脳死とするか、はたまた別のボーダーがあるのか…
その答えは人の数だけあると思っています。
これから逞人がどれくらい長く生きられるのかは全く分かりません。
しかし、もしこのまま逞人が6歳(臓器移植可能年齢)になった時、私はちゃんと答えが出せるのだろうかと考えました。
きっと私には逞人の脳死は受け入れられないし、きっと延命治療をし続けるだろうなと、今の私は思います。
狂気的になるまで娘の命に縋りついた劇中の母親の気持ちが、私には痛いほど分かります。
こんなこと考えているだけで涙が出てくるんですから。
最後に、臓器移植を終えた娘のお葬式で
「やっぱり死を迎えたと実感したのは(娘の)心臓が止まった時かな」
と言った父親に、娘の主治医が言った言葉
「だったらご主人にとって娘さんはまだ生きているってことになりますね。この世界のどこかで彼女の心臓は動いていますから。」