逞人が1歳を過ぎた頃、私が実際に経験した稽留流産について書きます。
結果的には流産となり、とても悲しかったですが、精神的な気付きや成長もあったので、書き残しておこうと思いました。
- 逞人に弟か妹をお迎えするにあたって
- 妊娠判明から流産判明まで
- 自然流産か人工流産か
- 自然流産の経緯
- 子宮内清掃手術
- 手術後から現在の体調
- 稽留流産を経験して
1.逞人の弟か妹をお迎えするにあたって
逞人の障害の有無に関わらず、逞人は世界でたった1人の私たちの大切な愛おしい子です。
どんな言葉を尽くしても、この愛情は表現しきれないほど、逞人のことが大好きで可愛くて愛おしくてたまりません。
だからこそ…
逞人のことが大好きだからこそ、逞人に弟か妹がいたらいいなと思ったり、逆に次の子が生まれたら逞人といる時間が減ってしまうから、もう子どもは逞人だけで充分と思ったり…
私たち夫婦で何度も話し合って、話し合ってはグルグル同じ話を何十周もしました。
でも結局は、「子どもは授かりものだし、その時が来たら上手く逞人と次の子の2人が何とかしてくれるよ」という結論になるんですよね。
焦るものでもないし、自分たちのタイミングで来てくれるものでもありません。
「じゃあ私は来たるその時に備えて、自分の体をメンテナンスして準備を始めよう!」と思い、まずは産婦人科にかかることにしました。
子宮頸がん検診をしてもらったり、正常に排卵がされているか診てもらったり…
はっきり妊活と言えるほどでもありませんでしたが、半年ほど定期的に受診しました。
逞人は自然妊娠だったので、不妊ではないと思います。
主に私の体のメンテナンス目的でしたが、通院し始めてから約半年で妊娠が判明しました。
2.妊娠判明から流産判明まで
定期的に産婦人科にかかっていたおかげで、妊娠がわかったのは妊娠4週の時でした。
素直に心から嬉しくて、手が震えました(笑)
1週間後の受診が待ち遠しくて待ち遠しくて…
本当に妊娠しているのか不安で、妊娠検査薬を2回もしてしまうほどでした。
しかし、5週6週の検診では赤ちゃんが育っておらず、エコーをしても胎芽が確認できませんでした。
そもそも先生から赤ちゃんのエコー写真を1枚ももらえなかったことが、私が1番最初に「ん?」と思ったことでした。
「赤ちゃんがもう少し大きくなって心拍確認できたらあげるね」と言われましたが、小さくても見えなくてもいいから写真欲しかったなあ…
そのまま7週の検診でも前週と同じ状態で、心拍確認ができず流産の宣告を受けました。
すごく悲しかったです。
先生のこれからの流産の流れの説明を、泣きながら聞きました。
3.自然流産か人工流産か
稽留流産が確定してから先生から説明を受けたのは、自然流産か人工流産の二択でした。
自然流産は、文字どおりそのまま自然に流産するのを待つ方法です。
そのうちお腹が痛くなって出血し始めて、そのまま血と一緒に流れ出るのを待ちます。
ただ、いつまでも待てるわけではなく、だいたい12週までが限度だそうです。
12週頃になっても流産していない場合は、人工流産の手術を受けることになります。
また、もし自然流産が起こっても、子宮の中に残ってしまったものがあった場合も、人工流産の手術を受けることになります。
人工流産は、子宮の中にあるものを出す手術(子宮内容清掃術)をすることになります。
1泊2日の入院が必要で、全身麻酔での手術になります。
この手術はいつでも予約できるとのことでしたが、夫と話し合い、私たちは自然流産を待つ選択をしました。
自然流産にも人工流産にもメリットデメリットがあり、しかも夫婦それぞれで事情が違うので、一概には言えません。
その中で私たちは、できるだけ自然に任せて、お腹の子がいたいだけお腹にいてもらおうという判断をしました。
出てきたくなったら自分で出てきてくれるだろうから、それまではお腹にいてもらおう。
タイミングはこの子に任せよう。
私たちにはこの選択が1番しっくりくる結論でした。
4.自然流産の経緯
自然流産を待つことに決めてからは普通に生活していましたが、悪阻は通常妊娠と同様にあった気がします。
もともと私は悪阻は軽いほうで、逞人の妊娠中も食べ悪阻や吐き悪阻はほとんどありませんでした。
今回も吐いたりすることはありませんでしたが、とにかく眠い…気怠い…気持ち悪い…
頭痛も酷くて、1日中寝ている日もありました。
実際に自然流産のタイミングが来たのは、リミットの12週直前の頃でした。
とにかくお腹が痛くて、鮮血がドバドバ出てきて、そろそろきたかと身構えました。
真っ直ぐ立って歩くことできませんでしたが、とりあえず病院まで行って先生に診てもらうと、今まさに流産している最中でした。
そのまま先生が子宮口に見えている出かかっている袋を引きずり出してくれました。
そうすると一気に痛みが楽になりました。
まだ血が出ているので、膣にガーゼを詰めて、しばらく病院のベッドで横になっていました。
そのまま出血が治れば、手術せずに完全流産となる予定でした。
しかし、それから約4時間が経過しても出血が治らなかったため、その日は入院して経過観察をすることになりました。
もうその時点で私には先生から歩行禁止令が出されたので、夫に事前にまとめておいた入院グッズを持ってきてもらって入院手続きをしてもらいました。
その頃には痛みもなく、悪阻のような症状も全く消え失せ、ただ血が止まらないというだけでした。
その出血はそれから2時間経っても治らなかったので、そのまま不全流産(↔︎完全流産)の診断を受け、結局人工流産の手術をしてもらうことになりました。
5.子宮内容清掃術
手術自体は簡単なものだったように感じます。
実際に全身麻酔されてから30分程度で終わって目が覚めました。
その後の出血はほとんどなく、次の日の朝には退院できました。
手術後は麻酔の影響でフラフラしたりぼやーっとした感覚でしたが、1番の変化は、それまでほとんどなかった食欲が嘘みたいに湧いてきたことでした。
手術後に病院が用意してくれた夜ご飯をペロッと食べて、さらにコンビニのおにぎりやサラダも完食しました。
麻酔でフワフワしているにも関わらず、興奮状態なのか深夜まで眠れなかったので、1人でゲームをしながらおやつも食べました(笑)
お腹いっぱい食べても気持ち悪くならない…
ご飯ってこんなに美味しいのか…
プチ感動でした(笑)
6.手術後から現在の体調
手術が終わって完全に流産してしまった後も、しばらく少量の出血は続きました。
約2週間くらいで出血も収まり、体調も元通りに元気になりました。
やはり妊婦状態の体はしんどいですね…
逞人を妊娠中はフルタイムで働いていて、とてもしんどかったことを思い出しました。
手術してから約1ヶ月後に次の生理がきました。
これもいつもどおり変わらない生理だったので、もう体は元の状態を取り戻しています。
「流産してから次の妊娠までは、3回生理を見送ってからにしてください」と言われていますので、現在は妊活お休み中です。
7.稽留流産を経験して
日々、逞人の育児をする中で、よく私たち夫婦の議題にあがる「次の子問題」
2人とも逞人が大好きで大好きで、だからこそ悩ましい2人目のこと…
もちろん授かれたら嬉しいし、その子にも逞人と同じだけの愛情を注ぐ準備は万端です。
それでも今回の妊娠がダメだったのは、きっと逞人とその子が2人で相談して、時期尚早と見送った結果だったのかなと感じます。
今回の稽留流産で私が学んだことは、「生まれるタイミングは子どもたちが決めること」でした。
そのために私が何をしようが、思い通りにはいかないものですね。
これからは、もう無駄な足掻きはやめにして、「次の子問題」は大人しく逞人たちに任せようと思います(笑)
このまま逞人が一人っ子でもいいし、自然妊娠できないわけではないんだから、いつか授かる時がくるかもしれないし、逞人たちが決めたことなら何でもいっか!って
そう思えたら、私もフッと楽になりました。
そういう思いの変化もあって、「もしかしたら次の産婦人科受診は行かないかもしれない」と先生に伝えています。
先生は、「全然いいよ〜、もしまた来たくなったらおいで〜」と言ってくれました。
ここでも優しい良い先生に巡り会えました。
また考え方や思いは変わるかもしれないけど、とりあえず今は逞人とのんびり幸せ時間を過ごすことに注力できています。
まだまだ逞人はパパとママを独り占めしたいのだ!